繊細な彫金をボディトップのパネルに施したメタルフロント、輝きに満ちたパールフロント、精巧なインレイなど、トニー・ゼマイティスが作り出したギターは、どれも斬新な多くのアイディアに溢れ、最も注目を集めたギタービルダーである。
それはまさにロックンロールの歴史に刻んだイギリスの栄光である。
多くのイギリスのギターメーカーは小規模であり、国際的に注目されたギターメーカーは稀であった。
しかし、トニー・ゼマイティスは類まれな才能とアイディアで多くのギタリストに注目されることとなる。
Jimi Hendrix – Paul McCartney – Marc Bolan – Ronnie Wood – Dave Gilmore – Rich Robinson – Eric Clapton – Donovan – Gilby Clarke – Keith Richards – Tetsu – Peter Green – Geoge Harrison – Greg Lake – James Honeyman-Scott – Ronnie Lane – Mike Oldfield – Bob Dylan
当然、ギター製作は彼一人の手によって全て行われ、年に数本しか製作されない本当のカスタム・ワークある。
また、彼は自分のギターを一度たりとも宣伝することはなかった。
アンタナス・カシミア・ゼマイティス。
通称“トニー”は、1935年にロンドンで生まれた。
幼少のときから彼は物作りに興味を示し、飛行機の模型や自転車まで設計し、製作していた。
成長したトニーは家具職人としての道を歩み始める。
このことが、後にギター製作を行う上での木工技術、設計、装飾を実現するための礎となったことは言うまでもない。
1950年、彼自身ギターの演奏に興味を持ち始めた。
しかし、その当時ギターを手に入れることは非常に難しく、最初は友人のクラシックギターを借りて弾いていたが、やがて自分で製作することを思いたった。
これこそ記念すべきゼマイティスギターの第一号の誕生である。
さらに、彼は友人のためにもギター製作を開始し、材料代程度の安い価格で売り、その費用でまた次のギターを作るというプロセスを繰り返していた。
まさにゼマイティスギターの黎明期である。
彼のギター製作に対する深い興味とクリエイティブなアイディアが、その後のロックギターの歴史を塗りかえようとは、この時誰も想像できなかった。
兵役を終えたトニーのギター製作への飽くなき探求はさらに深まることとなった。
サウンドホールの形、スケールの違い、弦の構成など、プロトタイプ作りを通して経験と技術はさらに向上していくこととなった。
また、彼はロンドンのブルース、フォークミュージックシーンにおいて、注目を浴びる存在となっていた。
トニーのギターはこうした場所でファンの知ることとなり、ゼマイティスギターの評判も徐々に知名度を増してきた。
当時ミュージックシーンで活躍していたデイヴィ・グラハム、ロング・ジョン・ボールドリィ、スペンサー・デイヴィスなどは、ゼマイティスギターの演奏性やサウンドに対して高い評価をしており、トニーに注文をするようになった。
1965年にトニーは、ギター製作家として本格的に歩み始めることになる。
トニーの初期のギター製作は主にアコースティックギターであった。
特に12弦ギターを得意としており、後にエリック・クラプトンのゼマイティス12弦ギター通称「イバン・ザ・テリブル」(後年、オークションで3000万円の価格がつき話題となった。)は有名である。
その後60年代のミュージックシーンに対応してエレキギターの製作を始めることとなる。
いくつかのプロトタイプはジョージ・ハリソンのコレクションとして現存している。
それはトニーが製作したエレキギターの中でも有名なギターである。
トニーは、常に改良と新たなアイディアにチャレンジしていた。
そのひとつがメタルフロント・ギターである。
当初彼はエレキギターのハムノイズを減らすためにシールド性の高いメタルフロントを考案した。
メタルフロントの第一号はグラウンドホッグのトニー・マクフィーのために製作され、そのローノイズの効果は実証された。
そしてそれは単にノイズ対策ばかりでなく、1本1本に施された美しい彫金のデザインも手伝って、当時のロックアーティスト達の話題となり、ゼマイティスギターのトレードマークとなっていくのである。
ゼマイティスギターの代名詞となったメタルフロントに続き、彼は美しいパールフロント・ギターを発表する。
マザー・オブ・パールを幾何学的にギターの表面に施し、ステージのライトによってより鮮やかに美しく輝くパールフロントは、最高級ギターとしてのゼマイティスのブランドをさらに印象付け、多くのトップギタリストの注目を浴びることとなる。
1980年代に入るとトニー・ゼマイティスの製作したギターの品質、スタイル、演奏性、サウンドは、すでに世界最高峰のギターとして揺ぎ無いものとなっていた。
ギター・コレクター達は、ヴィンテージのゼマイティスを探しはじめ、その価格は上昇していった。
しかし、トニーのギター製作に対する姿勢はなんら変わることはなく、彼一人でそれまでと同じように年数本のギター製作を続けていた。
しかし、彼は有名なプロや金持ちのコレクターばかりでなく、純粋にギターを愛するプレーヤーにも手が届くスチューデント・モデルも製作していた。
どんなレベルの顧客であろうと彼の作るギターは演奏性に優れ、素晴らしいサウンドを約束していた。
彼は常に最高の木材と3ピース・ネック、耐久性に優れたセットネックの構造と最高のサウンドにこだわりながらギター製作を続けていた。
それは、品質、クラフトマンシップ、アイディアそして世界中のゼマイティスファンからの暖かい声援から生まれたものである。
2002年8月17日 トニー・ゼマイティス逝く。
約40年間に渡り徹底してハンドクラフトに拘ってギター製作を続けたトニー・ゼマイティスも、健康上の理由から引退を決意しました。
同じ頃、トニーと会う機会を得た我々は、トニーが作り上げたゼマイティスの偉大なブランドとその素晴らしいギターを後世に伝えることに対する熱い思いを語りました。
残念なことにその話し合いを続けている途中、彼は以前からの病により、彼との約束について十分話し合うこともできず、突然帰らぬ人となってしまいました。
残された彼の妻アンと息子トニー・ゼマイティスJr.は、ゼマイティスギターの伝統を守ることこそトニーの意思であると信じ、我々と協力してゼマイティスギターの新たな誕生を実現することとなりました。
我々は、トニーが作り上げたゼマイティスギターとその魂を後世に残すという大きな使命を遂行するというギターメーカーとして最高の目標を得ることになりました。
長いギター製作の経験を持った我々クラフトマン達は、トニーから受け継いだオリジナルのテンプレートや図面、メモ、顧客との通信などが残された情報を収集し、トニーが製作した技術を学び、偉大なギタリスト達から世界最高のギターとして絶賛されたゼマイティスギターに少しでも近づこうとする壮大チャレンジであり挑戦でした。
さらに、トニーの製作したメタルフロントのエングレイビング(彫金)を担当した、ダニー・オブライエンが我々のプロジェクトに共感し協力してくれることになり、彼が持つ芸術性と彫金技術によって、さらに価値のあるギターとして新生ゼマイティスギターは誕生しました。
我々は、まず、トニーと長い年月をマスター・エングレイバーとして、共にギター製作に携わってきたダニー・オブライエンにコンタクトをとり、協力を要請したことでした。
銃のエングレイバーでもあるダニー・オブライエンは、新たなゼマイティスギターへの挑戦に同意し、マスター・エングレイバーとして新たなデザインを提供することを我々に約束してくれました。